昭和42年3月30日 朝の御理解


 昨日、久留米の野口さんのところの、謝恩祭がございました。実に華やかな、そして、有り難いお祭りでございました。始めてでございましたけれども、野口さんのところのご親戚、ご兄弟やら、勿論、娘、又、娘婿達も全部見えておられましたが、御信心がある訳ではないのですけれども、だんだんと野口さんの御信心を親戚の方達も認めておられた。
 認めておられたという事は、野口さんがああ云う様な中から、ああ云う様なおかげを頂いていきよるという事は、これはやっぱり只事ではなかばいと云う様なものが感じられました。
 もう非常に私共に対しましても、親戚の人達が非常にご親切に、好意的になられましたが、お互い、せっかく信心させて頂くのでございますから、自分のせめて身近のものぐらいはです、金光様の信心ちゃぁ、有り難いもんだなあ、人間の上にも、あれだけの、まあ云うなら変わり方が出来ると同時に、確かにあの人達が信心する様になったら、その家がいよいよ繁盛のおかげ頂いている。
 なんとはなしに、人間の上にも信心の無かった時分とは違う、と云った様なもの現れて来なければならないと思うんです。そう云う意味で私は、昨日の野口さんところのお祭りは、ほんとに有り難いと、私は思わせて頂いたんですが、今日も申します様に、実に椛目的で、華やかな先き程の頂きました御理解の中に、右近の橘、左近の桜と云う御理解を頂きました。
 勿論、左近の桜というのが、椛目の事でございましょうねぇ、椛目的信心、皆さん、ご承知でない方もございましょうけれども、非常に、こう信心、教会御本部を初め、必ず、御結界というのは右端にございます、ところが椛目は、椛目時代から今日、合楽になりましても、左の方にございます。
 この事は、三代金光様から、左になさったら宜しゆございましょうと云う様なお言葉を頂きまして、それ椛目以来左の方へお結界を置く事になっとります。
 云うならば、右の御結界に対する左と云う事も云えるかも知れません。けれども、どこまでも、いわゆる左近の桜的ないわば雰囲気というか、そういう信心振りというものが、椛目のいわば御信心ぶりになってきておる様に思います。
 ですから、非常におかげも華やかな桜の様に、華やかなものを感じられます、ですから、どうでも、その左近の桜的な信心に右近の橘という、橘の香りのする様な信心が、それに加えられるというか、それができる様になった時が、椛目が本当の信心を頂いていきよる時だという事になるであろうと、ところが、なかなか1つの神情と申しますかねぇ、性格と申しますか、なかなかその難しいのです。 というて、みなみんなが左近の桜的なおかげを求めていないかという事をです、これはもう誰しもが、桜の様な華やかなかげを頂きたいというのがもう、みんなそうなんです、おかげ頂きたいのです、ね。
 いんや、もう、うちは地味でよかという人は無いです、ね、ですから、その左近の桜的なおかげを頂かせて頂く事が、有り難いのですけども、その信心の内容として、右近の橘的な信心がいよいよなされて行かなければならないという事を最近は、もう切実に感じるわけです。

 そこで私がいつも申しております様に、桜の花の信心に、どうでも梅の花の信心と、信心辛抱梅の花と、こう教えて下さる、もういよいよ梅の花的な辛抱の信心とそれに従って、素直な、素直ないわば柳の信心と、枝垂れ柳が風に逆らわない様、風にまかせきっておる姿、・・・?を柳に頂きますけれども、柳の信心とこのふたつが、いよいよ桜の信心の内容としてです、梅の香りを桜に持たせ、枝垂れ柳に咲かせたいという、椛目の信心の理想郷に出してです、いよいよおかげを蒙って行かねばならない。
 これがもし、万一、桜の花の信心的なものだけに終わるとするならば、それは必ず、早う散るという結果になるでしょう。ですから、ここで私どもがですね、もう大げさな様ですけれども、命がけの信心とでも申しましょうか、ね、自分に持ってるものを発揮していくのは、案外見やすいのですけれども、自分に欠けておるもの、自分にないもの、それを内容とする時には、もう人には見やすくても、非常に、私は矢張り難しいと思うんです。
 本気で心がけなければ、本気でその気にならなければ出来んのだと、私どもはそれを思うておりましてはですね、後から考えて見ると、やっぱり椛目的だなあと、こう思うんです、ね、椛目的な信心は決していけんのじゃないのです、いやむしろ誰もがそうです、もう羨望の的なんです、いうならば。椛目のようなおかげを頂きたい、合楽にあるおかげを受けたい、これは誰しもが一つの願いであり、もういうならあこがれだと思うのです。
 けどもそれだけでは矢張り、左近の桜で終わってしまうと、矢張り、右と左を矢張り右近の橘、左近の桜があって始めて一つのものが、成就したという様な気がいたします。
 ですから、皆さんこれは、成就なからなければならないという事はございませんけれどもです、この華やかなおかげの内容として、橘的なおかげ、あの橘と云うのは、柑橘類の事を申します、いわゆる蜜柑です、蜜柑をいわばああいう2つに切って見る姿というのがです、丁度菊の花を思わせる様な、菊のご紋章の様な、いわば椛目時代のこれからのシンボルだとまで云われておった、菊の花の様になっております様に、菊の花の喜びというか、菊の花の様な信心というか、そういう信心をいよいよ身につけていかなければならないという事です。
 それにはですね、矢張りその椛目的一つのまあ、実感とでも申しましょうかね、そう云うものをいよいよ改まって行く事の為にですね、もう大げさの様ですけれども、命がけでやらなければいけないという事です。
 私も頂いておる時でございましたけれども、昨日、おとといでしたか、あの永瀬さんのお届けを頂いておりますと、あちらの奥さんが頂いておられますのにですね、ご本部の千人参りを志せと、神様は、椛目に対する一つの宿題の様なものを出しておられます。
 椛目から、さあこの春秋の御大祭ともなったら、1列車、あれが7.8百人ぐらいでしょうかね、まあ千人参りということが、千人という事ではありますまい、沢山お参りが出来るという事なんでしょう、云うならば、1列車から、椛目で貸し切ってお参り出来るくらいのおかげを頂き、そこを一つの目指しとしよう、私はこの春は出来ません、ですがこの秋は、おそらくは、私も正式に教師の補名を受ける事でございましょうし、合楽の予備布教所という事も、はっきり合楽、金光教合楽教会というお許しを頂き、そうした看板が揚げられる事になるでしょう。
 ですから、その秋の教祖大祭には椛目からいよいよ千人参りを目指させて頂いて、ここにまあ、半年ちょっとございますから、その間に私どもが本気に一つ大げさの様ですけれども、命がけの信心を取り組ませて頂いて、信心辛抱梅の花、梅の花の様な辛抱の信心をもう、信心の上にも、家庭の上にも、仕事の上にも、ひっさぐりに信心辛抱の信心を表して行く事の内容とさせて頂こうとする、願いに一つ立たせて貰ってもう、いよいよ馬鹿ほどの素直さを身につけていって、柳、そして桜、そして梅と、これを掻き混ぜた様な信心を頂いて、その様なおかげを頂いて行く、そして、本当に椛目全体の者がですね、もう打って一丸になってご本部にお礼参拝が出来る様な、教祖の神様の奥城に、その事のご報告が出来る様なおかげを頂きたいもんだと、念願させて頂くのでございます。
 この事がどうでも一つ、本気で命がけ、命がけと云うと非常に難しいですけれども、自分たちのこのここを自分が改まらなければ、ここんところを頂いていかなければという、それを自分のものにして、本気でそれは自分の内容にないものでございますから、それを新たに自分のものにしようとするのですから、難しいに違いありません。
 自分の中にあるものを養い養いするのですから、無いものを頂こうとするのですから、左近の桜を持ち合わせているのですから、右近の橘的な信心を、私は身につけさせて貰うおかげ、云うようにです、今は、私に対するところの、橘的な信心とはどういう信心かという事をです、本気で検討して見て、それを自分のものにしていこうとする願いに燃え立つ時にです、神様は、千人参りも、私はさほどに難しい事ではない、おかげとして、おかげを受ける事が出来るという風に思うのでございます。
 皆さんどうぞ、その千人参りだけを、今度あったら、どうでんこうでん、みんなで、家族あげて、云うならお参りをさせて頂こうという願いだけではなく、それがほんとに出来る、心から出来るおかげを頂くためにもです、どうでも、橘の信心を身につけて行きたいと、こう思います。

 野口さんの所の、謝恩祭について思わせて頂いた事、それはほんとに、野口さんご一家の御信心を親戚の、いや云うならば、今までは、ずいぶん反対をしておられたという様な人達までがです、それを認めておいでられる、そして、今度の椛目の御大祭、落成式に、私達ども皆一つお引き寄せ頂きたい、おかげ頂きたいというて、昨日は、私に云うて下さったんですけれども、そして、椛目に又、御神縁頂かれる様な、機縁を作るという事は、そこにその人一人が、その人一家がです、育って行くから、それが周辺の人達がです、いよいよ助かって行ける事の出来るという事なんですから、大変な事なんです。
 私達が家族一家ではなくて、親戚あげてお道の信心をさせて頂かせて貰う、それが、私どもの信心を誰にでも認めて貰うという事、先ず神様に認めて頂かなければならない。ポーとした云わばおかげは受けておる、そういうもう、しみじみとしたとでも、申しましょうか、桜の花の様に、華やかではなくてです、なんとはなしに、橘の香りのする様な信心というものがです。椛目の、いや合楽の信心のいわば信条ともなって行く様なおかげを頂かせて貰う願いを立てなければならん。そして、この秋には、本気で一つ、千人参りが出来る様な、広大のお礼を頂きたいという様に思うとります。 どうぞ。